生産調整、その現場を走って思うこと(12.18)

全国9ブロック広域生乳販連を作って3年目、これがその結果なのか。
北海道産直牛乳(成分無調整ESL製法)が関東で売られている。
なんと139円だ。

今回の生産調整を見て、思い起こすことがある。
あれは2001年12月のことだった。
「うちの主人がおかしい」…肉牛農家の先輩の奥さんが電話をかけてきた。
夕飯を食べたけれどすぐに吐いてしまったという。
もう昨日から殆どまともに食べていない、でもおなかはすいているらしく、毎回食事時間には自宅に戻るという。
しかし、食べても吐いてしまう、胃が受け付けないのだ。

その頃群馬では二頭目のBSE感染牛が検出され、市場は群馬県産牛の受け入れを全面停止していた。
行き場の無い肉牛は出荷時期を過ぎても出荷できず太りすぎて起立不能や心臓発作を起こすものまで出てきてしまった。
そんな中、先輩は都内の市場にようやく出荷枠を確保し、去勢のF1をせりに出した。
後で聞いたことだが、その時の精算金は4頭の合計が手数料を抜いた手残りが8万と数千円だったという。
まともな肉牛だ、格付けはよかった。それが1頭当たり2万円余りにしかならなかった。
BSEが発生した県ということで群馬の牛は誰も買わなくなった。
その枝肉市場の帰り道を、先輩は全く憶えていない。
どの道を通ってどう帰ったか。 1時間以上ある道程だ。

先輩は夕食を終えて奥さんに聞いた。「俺、餌くれたっけ?」と。
夕方の給餌に費やした約3時間の記憶も飛んでしまっていた。
ときに人間にとって、精神的なショックほど恐ろしいものはない。
よく交通事故や、牛舎での事故が起きなかったものだ。
ひとの運命を導く神がいるなら感謝したい。
しかしわたしは今でも当時の思いつめた先輩の表情が忘れることができない。

今年3月から約半年、MMJ(ミルクマーケットジャパン)という生乳流通の会社の代表として全国の生産調整の現場に頻繁に招かれるようになった。
取扱量も増えた。
ここ半年で昨年の取扱量の4倍を超えそうだ。
普通の商売であれば喜ぶべきところであろうが、はるばる尋ねて農家の話を聞くとその厳しい現実に心が痛む。

北海道から九州まで、一様に言えることは、生産抑制、制限枠の割り当てが、ごく1部の農家に集中してしまっていることだ。
たまたま昨年牛舎を新築した。
後継者が入ったので増頭した。
公社営事業が該当になったので新築した。
など、さまざまな事情はある。
たった1年、事業年度が早かったために今回の生産調整の難を免れた人もいる。
たまたま当たった、たまたま免れた、で経営の生死を分かつような調整枠を押し付けていいのか?という疑問が生まれる。
そこには平等感など全く感じられない。
組合に割り当てられた数量調整をどう割り振るか、多くは理事会決定だが、その席上では理にかなった討議が行われているのだろうか。
民主主義=多数決=正義という短絡的な理論がまかり通ってはいないだろうか。
仲間同士、利害が反するとき、多数意見の暴力、という現象が起こりやすい。
順調に牛乳が売れているときは共進会や増産奨励事業など、仲良くやっていたが、この半年で情勢は一変した。
誰かを責めることで自分に降りかかる難を逃れようとする。
そこには理論も正義も無い。

関東では乳質が良く、乳質の優等生といわれた栃木県が最も厳しい生産制限を受けた。
栃木県では他県に例の無いほどの厳しい乳質基準を設け頑張ってきた。が、その努力は報われなかった。
中でも酪農栃木(栃木県酪)は10%の減産を強いられた。
関東一の乳質でも、余った牛乳は豚の餌になったのである。
酪農業が地に落ちた。いや、自らでおとしめたと言ってもいい。
栃木県酪は昨年11月、5年に1度の全共(とちぎファームフェスタ・全日本ホルスタイン・ジャージー共進会)の主催団体となり、 大消費地の関東圏で68万人の規模に沸いた一大イベントをみんなで成功させた。そのたった半年後の事だ。
生乳流通の合理化、需給調整機能の強化を謳い、平成12年に発足した広域指定団体制度。
配乳権は各県酪から引き上げられ、関東生乳販連をはじめとする全国で9ブロックの広域指定団体に集中した。
しかし始動しはじめた矢先、コントロールが効かなくなってしまった。
各地の酪農団体の理事さんや役員の方は一様に「広域の生乳販連が役に立たん、邪魔をしている」と言い、「酪農家との交流がなくなった」との声も聞く。

農家個々の経営には何の責任も持たない広域生乳販連、ここが生乳の販売権、配乳権を全て手中にしたのである。
責任のない者が権限だけを手に入れてしまっている。農家の声が届くはずが無い。

2001年、BSEが発生した北海道で感染牛の疑いがあると届け出た女性獣医師がいた。
案の定その牛は感染牛と認定され、報道された。
その日から女性獣医師の家に非難の電話が相次ぎ、「なぜ黙殺(感染牛を)しなかったのか」、「みんなに迷惑をかけた責任をとれ」と。
数日後この女性獣医師は自殺した。
この衝撃的な事件を憶えている方は多いだろう。
人が日本国内の牛肉を食べてBSEに感染し死亡した例は未だでていない。
なのに、関係業者や生産者、この獣医師も含め10名近くの方が命を落とした。

生乳の生産調整とBSE、関係ないようだが末端で起こっていることの根っこは同じだ。
全員が助からないと思ったとき、誰かを犠牲にして助かろうとする、集団心理。

今回の生産調整ではBSEほどの衝撃的な出来事は起きないだろうが、集団の心理の凶暴な一面、その犠牲にさらされた人の気持ちも考えて欲しいと思う。
どんな難局であろうと、広い心をもって、冷静に考えれば手段は無限にあるものだ。

なによりも一番近くにいる仲間を思いやってほしい。

上に政策あれば下に対策あり

計画経済の圧政にあえいだころの中国人の諺である。

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切迫している需給情勢、どう対処する(3.10)

酪農業界では5年に1度の全共という大イベントを終え、ほっと一休みの時期といいたいところですが、 昨年来の余乳は行き場を失い、数万トンという生乳が日本国内を西に東にあふれています。
すでに一昨年から生産の過剰傾向はあったのですが、家畜糞尿問題による堆肥処理設備への投資や高齢化から酪農を廃業する方も多く、 全国の生産量は一時期、足踏み状態でした。
「やめそう」と思われる農家はほとんど生産の場から離れ、退場しました。
糞尿処理問題をクリアーし、経営をさらに維持拡大する農家と、高齢化や経営の行き詰まり、都市化の波など、 さまざまな理由で退場する農家に色分けされた数年でした。

昨年からの生乳余剰の原因の第一には消費の低迷が挙げられます。
野菜ジュースや豆乳の人気に代表される健康志向や、少子化による学乳の減少が拍車をかけてか前年比3%〜4%の減です。
一方生産農家サイドでは、糞尿処理問題で新たに設備投資した分の出費を稼ぐ必要があります。
このところの酪農業での好況感、特にスモールや経産牛の高値安定は意欲的な生産者の増頭増産の後押しとなったと思われ、 生乳の需給バランスは次第に供給過剰に傾く結果となりました。

前回の過剰生産による生産調整が行われた13年前との最大の違いは他業種の参入でしょう。
農家保護、育成のための生産枠という認識が薄れ、日本中、誰でも自由に組合(指定団体)出荷しています。
今、最も増産に貢献しているのは各地で展開されているギガファームと呼ばれる1000頭規模の酪農会社でしょう。
そのほとんどは肉牛業や養豚業、養鶏業、建設会社など、他業種からの参入です。
こうした「酪農組合を知らない」出荷者は生産調整という言葉さえはじめて聞くという状態です。
現在の供給過剰問題について問えば、「ペナルティー?なにそれ、あまっているなら値段下げればいいじゃないの」という答えが返ってきます。
市場経済で長年生きてきた肉牛、養豚、養鶏業者としては当然の考え方なのでしょう。

現実に日々余っている牛乳、どうするのか。
いまさら宣伝費を何億円費やそうが気まぐれ的な消費の増減はあっても継続的な伸びは期待できません。
全体量を減産するしかないのです。
ところが、国内の半分以上の生産を担う北海道で農家の希望を募ったところ、97%の農家は減産拒否、価格の値下げを希望したそうです。
北海道では農家毎に2つの道のひとつを選んでもらうという方法が取られました。
価格を維持する代わり減産に協力するか、それとも増産が認められる代わりに、値下げに甘んじるのか、です。

97%の農家は更なる増産に向かうという現実。
今後数ヶ月の間、組合間、農家間では難しい調整をせまられます。
激しい攻防が予想されます。

こうした状況の中ではどうしても自己の経営に、また身近なところに視線が行きがちです。
組合に対して、同業者に対して、近隣に対して…結果、酪農家同士の行き場のないせめぎ合いと葛藤が生まれ、 場合によってはしばらくの間ぬぐえない禍根を残すことにもなります。
過去といってもまだ13年前です。そのときの思いはまだ忘れてはいないでしょう。
人知を尽くして過去の轍を踏まないよう、乗り越えたいものです。
なぜこうなってしまったのか?今、業界に何が起きようとしているのか?考えなければなりません。
一歩外へ出て、乳業の視点で業界を見る。
他業種の考え方で酪農業界を見る。
良い機会のように思います。
過去のアウトサイダーの失敗は、そのほとんどが生産調整が叫ばれた13年前に集中しています。
感情に任せ、目先の利得に方向性を見失い、前後の見境なくアウトサイダーの道に走るのは自殺行為といっても過言ではありません。
経営に対しての目的意識、生乳の販売とはなにを意味するのか、改めて考え直す時期ではないでしょうか。
今はここ10数年来の生乳余剰期を迎えようとしているのですから。

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2006年のコラム