10月10日から13日、在京の酪農団体、大手乳業、研究者から成る「英国酪農乳業緊急実態調査団」がJミルクの企画でイギリスに渡った。
調査の中間報告が酪農スピードニュースに書かれたが、例によって酪農の改革に反対する意見しか書かれていない、
もっと大局的に当時の英国を見てくれたら違う目線の建設的な報告もあったろうに、と思ってしまう。
酪農、乳業の改革を考える時に、どこに焦点を当てて改革を実行していくのか?組織維持のために改革するのでは本末転倒である。
MMJは酪農、乳業界の健全な発展のために存在する。
業界が本当に危機的な状況になれば生産調整も契約農家に呼びかけ協力してもらう。
どんな山間僻地であろうが、遠隔離島であろうが集乳する。
その時の業界が、その地の酪農家達が真に弊社MMJを求めるならそこに道を作るのが使命と考えている(注1)。
英国といえば忘れもしないBSE(狂牛病)だ。
私は日本でBSEが発生した2001年10月渡英している。
当時、被害を最も受けたのは肉牛農家よりも酪農業だった。
発症した牛はほとんどが酪農の経産牛だった。
1980年頃、英国では牛の奇病が噂され徐々に罹患率は無視できないものになった。
各研究機関が原因と感染経路を究明しようとしている中、ある仮説が立てられた。
羊のスクレイピー という病気(神経症状を呈して発病後、期間の長短はあるがほとんど死に至る)に似ていると言うのである。
当時、英国では死亡した羊や牛、豚などを肉骨粉にして乳牛に与えていた。
高濃度のタンパクとエネルギーを安価に給与できると、搾乳牛には良く使われた。1984年頃の事である。
当初、羊のスクレイピーに似ているがその原因となる菌、ウイルス、又は遺伝障害・・・どれも特定には至らなかったが、
1986年、プリオンというウイルスよりもさらに小さいタンパク質が原因である事が発見された。
生命体とも言えないような物質プリオンは、摂氏130度を超えなければ不活化しない事がわかった。
当時のへい獣処理場は開放型の加熱だったので100度を越えなかった。
餌から摂取され畜種の壁を超えたプリオンは牛に感染し、はじまりは一頭だったのが発病後へい獣処理場で肉骨粉となり、再度飼料を介して水平感染していったとされている。
当時、英国畜産界ではどうも肉骨粉が原因らしいという疑念はあったが、国の対応は遅れた。
肉骨粉は英国内では値下がりし、売れなくなった物は販路を求めて一部はヨーロッパ各国に輸出された。日本にも輸出され、アメリカにも渡った。
更に1995年、BSEは人にも感染していると言われ始めた。
感染牛の肉を食べたのが原因とされる同様症状の人の症例がTV放映され、世界的な新感染症の問題となった。
顔の表情が歪み痩せ衰えた人の姿や、乳牛が酔っ払ったように千鳥足で乳房を壁に叩きつけながら歩くBBCの放送は生々しかった。
新しい人畜共通感染症、治療方法はなく、年齢にも関係なく致死率100%と言われ世界中の人を恐れさせた。
1996年3月には、英国の若者8人がBSE感染で亡くなった(当時は新種のヤコブ病と診断)。
日本で発生したのは2001年8月、疑似患畜が発見され、さらに9月、アメリカの同時多発テロの直後に2頭目が発見された。
これをもって日本はBSE汚染国となった。
当時、私はこの年の10月、この新しい家畜の感染症、人畜共通の感染症が肉牛業界にどれほどの影響を与えるのか、この目で確認したくて英国と欧州へ視察に行った。
英国、フランス、イタリア、スイスを10日間かけて一人で視察、調査した。
2001年6月時点で、英国では既に18万1255頭のBSE感染牛が確認され死亡、又は殺処分されていた。
私が渡欧した10月、人の感染は107人発症、内すでに101人が死亡していた。
当時の英国乳価の変動が示されている資料として、中酪情報2015年3月号掲載の「英国における生乳取引制度の変遷と生産者組織の役割」(農林水産政策研究所、木下順子氏)図2を参照したい。
(本文は中央酪農会議のサイト中酪情報のバックナンバーとしてダウンロードできます。→中酪情報)
94年、MMBは解体され、任意団体であるミルクマークという組織に引き継がれた。
翌95年の英国乳価は依然として強い組織力により高乳価を獲得している。
しかし、EUから安い牛乳・乳製品が流入し始めたことで、英国の生乳の加工比率は上昇、長年固定化した組織の高コスト体質が問題になっていた。
もともと、EU諸国はアメリカの穀物を飼料としては利用できないほどの高関税(約150%)をかけていた。
しかし英国畜産農家は殆ど無税で飼料穀物を利用できた。
この差は大きく、畜産物が安価に生産できたため、EU諸国に活発に輸出していた。
このような有利な状況だったにもかかわらず、93年にはEU平均乳価と英国の乳価は同水準になっている。
これでは輸出できない。
当時のサッチャー政権は一物多価の固定価格経済から市場開放を迫る。
搾乳牛の神経症状を呈する新しい病気が広まり、人への感染が明らかになり始めたのは、MMB解体の翌年のことである。
96年にはBSEの犠牲者が発生し、消費者は恐怖に震えた。牛肉や乳製品の輸出は止まり、価格は大幅に下落した。
農家は国の緊急的な補完処置で経営をなんとか維持したのである。
これは余りにも特異的な例と言わざるを得ない。
当時、草食獣である牛に肉骨粉を食べさせた事への消費者の批判は厳しいものだった。
確かに日本の指定団体制度はMMBを模倣して作られたものであるが、しょせん模倣品の悲しいところで、経済の原則から見ても「穴」が目立つ。
今回の指定団体制度の改革と当時のイギリスを比較して制度維持が最善の選択とするのは拙速すぎる。
当時、英国はサッチャー政権下で電気、水道、ガス、交通など殆どの公益事業を民営化して市場経済に移行しようとしていた。
酪農、乳業もその一つとして改革を迫られたが、ちょうど同時にBSE(狂牛病)という同国としては未曾有の危機が発生してしまった。
業界としては悲劇と言うしか無い。
私が訪問した多くの農家は、特に酪農家は共販制度(MMB)の解体よりもBSEの衝撃と、経済損失に嘆いていた。
それでも生乳生産量は下図グラフのように2015年度時点では1985年の水準に回復している(データ:Eurostat)。ホルスタインの故郷、イギリスの畜産は健在である。
かつて世界の大陸の4分の1は大英帝国の支配下にあったとされる。
大きな舵取りは間違わない。
酪農業は一軒では成り立たない。日々の集乳、獣医や授精師の回診、搾乳器具のメンテに修理、何れも待ったなしの仕事である。
BSEのような未曾有の事件に遭遇したとはいえ、英国のような指定団体、計画経済の崩壊はあってはならない。
残るべき酪農家、地域と、消費者に真摯に向き合い努力している乳業が共存し、発展していけるような改革にしてほしい。
平成28年11月8日 凱MJ代表取締役 茂木修一
戦中、戦後にかけ灯油や原油は国の統制品であった。
国民に等しく配給するために作った制度は規制を生み、自由がなくなり、利権が発生し本来の目的とは違った方向へ進む。
現在の酪農、乳業界と通じるものを感じる。
平成28年10月19日 凱MJ代表取締役 茂木修一
9月26日、北海道酪農法人会がホクレンと「意見交換会」を行った。
その席で、MMJの田口畜産がホクレンに対し前回の生産調整とプール乳価からの道外向け産地パックの製品運賃補填について、問題提起の書面(下記)を提出した。
ホクレン側は近藤部長が出席し、製品運賃補填について認めた。
ホクレン殿
ホクレン生乳委託販売の問題点と要求
2016年9月26日
ホクレンが指定団体(加工乳不足払い制度)として北海道の生乳のほとんどを掌握し、配乳権を持ち、販売先である乳業を選択し、その配乳量を決定しています。 国の生乳不足払い制度加工乳補填金と、それに付随する補給金補助金を全て管理しています。 一元集荷多元販売という定義の元に、その権利、権限は補給金、酪農政策までおよびます。 利権と物量、財の集中は業界に歪みと矛盾を生むのではないでしょうか。 指定団体制度が施行されて50年、当初7%であった全国シェアは55%になります。 ホクレンは国からも組織改革を迫られる今、生乳生産者であり、ホクレンに委託販売している(又は委託販売していた)私たち経営者の質問に率直に答えていただきたい。 1、 生乳生産調整について、 平成17年、18年、減産型生乳生産調整を実施した。 この件についてホクレン板東常務は本年3月10日、内閣の規制改革会議で「失敗であった」と発言されている。 末端農協毎に生産枠を算定し生産農家に枠外数量を自ら廃棄させた。 経済的な負担は全て当該酪農家に負担させました。 当時、ホクレン系列の農協以外に出荷の手段が無かった農家は不公平かつ一方的な減産命令を受け、その精神的なストレスは計り知れない。 「失敗であった」とする失敗とはなんであったのか? その責任は、誰が何処でどう取ったのか説明願いたい。 また、報告書はあるのか。ないとすれば早急に製作していただきたい。 2、 生産調整時の個別廃棄乳の補償 共販体制の「一元」はホクレンである。 生産枠を末端農協、個別農家に当てはめるのではなく、ホクレン全体で枠外廃棄乳の処理、費用負担を行い、減産計画を実施するべきであったと考える(注1)。 当時の個別農家で廃棄した数量を調査して、補償すべきである。 3、 製品運送補填は契約に違反する。 北海道内乳業の産直パックに対応した内地向け製品運送補填費の拠出は契約違反であると思われます。 農家と所属農協及びホクレンとの契約は「生乳委託販売契約書」であります。 製品になったものは契約の範囲ではありません。 明らかな契約違反であるため、即刻中止する様に求めます。 4、 3の運送補填は契約違反である為、過去10年遡り全メーカーの補填金額を過去10年間の生乳生産者に返還するよう求めます。 5、 3、は加工原料乳生産者補給金等暫定措置法、第二章、第七条、六に違反する。 よって、第十条一に該当し、加工原料乳生産者補給金等暫定措置法の指定団体の指定を解除される疑いがある(注2)。 管轄官庁である北海道庁に経緯を説明する必要があると思います。 (注1)平成25年、田口畜産(田口廣之代表)は乳質等に不安を感じ自主規制で出荷を制限した。 これを知った北海道十勝の明治乳業工場長は「そのような農家の生乳はうちの工場に持ち込むな」と受乳を拒否した。 品質には全く問題なかったが、札内農協は日高乳業に転送し、しばらくこれを続けた。 この転送費を同農協は田口畜産に請求し、田口畜産は支払っている。 その結果生じた費用負担を請求され支払った。 同様に生産調整で個別農家の生乳を全量集乳しなかった農協またはホクレンは個別に廃棄された生乳の代金と廃棄費用を支払う義務がある。 (注2)北海道の産直パックに運送補填が補助される様になると東北はじめ関東でも末端小売価格の値下がりが顕著になった。 東北ではその対策に生乳販が拡売奨励金を取引全量に対し、最大1割まで増額している。 当然、生産者のプール乳価は大幅に控除金額が増し下がった。法令違反である。 以上、早急に対応願いたい。 |
農家が組合と締結している契約は「生乳委託販売」である。
製品の運送費は乳業が100%負うべきであってプール乳価からの拠出は論外である。
しかもその金額は運送費のほとんど全額になる。
年間、関東以西分のリッターパック運賃補填だけで56億円と言う。
東北地方への運送補填、殺菌乳(缶コーヒーの原料)など他の乳製品への補填金も究明する必要がある。
総額どのくらいになるのか計り知れない。
昭和60年から補填を始めた、と近藤酪農部長は証言している。
乳業には運送補填の実態を他言無用と命じ、農家に知れることを隠した。
田口畜産に始まるアウトサイダー(自主販売)が現れるまで、数字が世に出ることは無かった。
JA組織は外圧でしか変われないのか。
法に外れても修正することもできないのか。
これから責任の追及と賠償が求められる。
いよいよ農家に向かって胸襟を正さなければならない。
意見交換会の中に現在の制度の問題がほとんど凝縮されている。
1, 生産調整問題
2, 製品運送補填
3, バターの慢性的な不足
4, 各種補給金のあり方
5, 全農、全酪と言う指定団体の計画経済の中の見えないバイパス
ホクレンは30年前から、契約違反である製品の運送補填をプール乳価から拠出している。
この時既に指定団体の計画経済の破綻は始まっていたのである。
ホクレンに限らず、東北生乳販、九州生乳販も同様な補填金(拠出方法は若干違う)を拠出している。
ホクレン担当部長の答弁に「補填を付けなければ市場で勝負にならない」「末端市場価格で競争できる価格に」と言う言葉が頻繁に聞かれる。
これは市場経済に合わせる、同調させると言うことであり、計画経済の敗北を意味している。
この事実を農家に隠しながら契約違反である製品への運送補填を30年も続けていたことになる。
こうした指定団体がメーカーに対して価格交渉などまともに出来るわけがない。
とは言え、現行の補給金支払いを直接支払いにしては、指定団体制度が施行される前の状況、大手乳業の生乳の独占と地域格差、相場の異常な高騰と余剰が起こりかねない。
最も被害を受けるのは飲用乳の7割を支える中小乳業や、遠隔地酪農であろう。
とてもMMJ一社でこれらを一つひとつ繋げていたのでは間に合わない。
現行制度を脱しなければ、酪農家は元気にならず、消費者に乳製品(バターなど)の不足、欠品などの迷惑がかかる。
酪農家、誰もが生乳を上場でき、どの乳業も自由に生乳購買ができる市場の創設が急務と考える。
皆が共有する市場の創設が前述の5項目の問題解決の手段になる。
平成28年10月5日 凱MJ代表取締役 茂木修一
岩手県岩泉町で酪農を営んでいる農家は、MMJ加入農家(岩泉グループ)9軒、JA出荷農家30軒ほどである。
ほとんどの農家が家族労働で飼養管理から採草、収穫まで行っている。
台風10号がこの地に上陸し、観測史上70年ぶりという大雨をもたらした。
8月29日から30日の積算雨量は248.0ミリを記録した。
通常3か月分にあたる雨量が一度に降ったのだから凄い。
岩泉の唯一の幹線道路であり、小本川沿いに岩泉を横断する国道455号線は土砂崩れによって寸断された。
局地的な豪雨は1時間に70.5 mmに達し、今まで経験したこともない洪水を引き起こした。
岩泉グループの三田地さん宅では、牛舎の上に流れる沢水(普段は湧き水程度、金魚を飼っている)が溢れ、傍に置いた農機具が水没していた。
こんな小さな沢になぜこれほどの水が…と、時に自然は人の想像を超えた事を引き起こす。
三田地さんの牧草畑この地方特有の地形を利用した丘陵畑で、山の上にあるが、道がいたるところ崩壊しており、まだ行くこともできないという。
今年の2番草は諦めるしかないという。
岩泉グループでは佐々木さん、畠山さんと三田地さんが特に被害が大きかった。
倉庫に取り入れた牧草のロール、軽い機材など、水に浮きそうなものはすべて流された。
牛舎の牛は一晩中水の中で立って過ごした。
グループの皆さんが無事で、牛も流されずに済んだのは不幸中の幸いであった。
今回も集送乳を預託している古館運輸に頑張っていただき、集乳できなかったのは8月31日の1日だけだった。9月からは正常に集乳している。
JA岩手はまだ、ほとんど集乳できていない。(9月7日現在)岩泉乳業に併設されているCS(クーラーステーション)が乳業と共に灌水し、使えなくなった。
異常気象が続く昨今、立地は重要なポイントになる。
MMJではJAのインサイダー加入の農家の集乳を手伝う申し出をしたが、農家まで届くことなく断られた。
まだまだインサイダーとアウトサイダーの壁は厚い。
50年も続く制度の悪しき弊害と考えるしかない。
平成28年9月7日 凱MJ代表取締役 茂木修一
岩手県の中でも山間地である葛巻町。
ここに新規就農して18年経った農家がMMJ加入し、7月2日出荷が始まった。
搾乳頭数で25頭と、決して規模は大きくないが、公社牧場の勤務から自分の牧場を持ちたいと考え、酪農をやめる農家を2千万円で購入、居抜きで入ったという。
5年後を目標に頑張ったが現実はそう甘くなく、就農15年目にしてようやく新しい家を持てた。
無駄な投資をせず、堅実に酪農に取り組んできた姿勢は、牛舎や牛群を見てもわかる。
「頑張ったよね」と笑う奥さんと、自信を付けてきた旦那さんの姿は頼もしい。
どの地の新規就農の農家も決して楽ではない。が、彼らは楽な人生、安易な生活を求めて就農したわけではない。
人生の醍醐味、やりがい、経験したことのない世界への挑戦という意味で畏敬の念を抱かせる。
この地区にあった酪農家は7戸だったという。
今はもう4戸しかない。
東北一だった岩手県の酪農は衰退を続ける。
彼がMMJの自主販売に切り替え、更に大きな人物になった時、この地の酪農を再興する一人になるように思えた。
平成28年7月6日 凱MJ代表取締役 茂木修一
6月8日より浜中農協から鈴久名牧場が、ちえのわ事業協同組合を通してMMJに出荷が始まった。
まだ建設してから3年目という牛舎は新しく、真っ赤な壁は広大な自然の中で映える。
浜中農協といえば、ハーゲンダッツの高級アイスクリームがすぐに連想される。
原料のクリームは農協に隣接するタカナシの加工工場で生成され、群馬県の乳製品工場で製品になる。
年間通して乳脂肪分が4・0以上をキープする原乳を供給する浜中農協はTV番組にも良く登用され、独自性ある農協の指導と農家のやる気が高級食品の原料供給で実を結んだ例として取り上げられた。
常に先頭で指揮をとる石橋組合長は「農家のための農協」というスタンスで一貫している。
生産調整などの局面では上部団体のホクレンにも屈しない。
その姿勢は、組合員の強い信頼と支持を集める。
鈴久名牧場の代表、鈴久名翼さんも組合長に心酔する組合員の一人であるが、今回の生乳出荷にあたり、
拡大する浜中農協管内の酪農に「新しい選択肢の一つとして俺が一番にやって見る」と意欲を見せる。
初出荷には仲間の酪農家も多数集まり、盛大に行われた。
年間通して給与される自給飼料は豊富だ。品質の高位安定が期待できる。道東独自の生産体系に乳業の期待は大きい。
平成28年6月8日 凱MJ代表取締役 茂木修一
4月19日に北海道幕別町で開催した緊急説明会→(緊急説明会資料、動画)を、別海と札幌でも開催した(5月21日、22日)。
今回は準備時間もあったので講演者として北海道大学の清水池先生も参加いただけた。
毎回団体側(ホクレン)責任者の招聘を申し込んできたが、今回も断られた。
昨年の秋の酪農学園大学での北海道農業経済学界大会でも対談を断られ、今回の説明会も団体側の方と議論を戦わせる事はできなかった。
ホクレンの売り上げの3割は酪農部門であるという。
それが「無くなるかどうか」であるから小さい問題ではないと思う。
規制改革会議の指定団体廃止提言を「無かった事にしてくれ」と組合長の議決をもって陳情に行ったのが4月末、それから現在(6月4日)まで、
今回の加工乳補填金の直接支払いについて、組合員レベルでのホクレンを代表とする団体側の会議(説明会等)は持たれていない 。
本来各単協に持ち帰って、今回俎上に上がっている加工乳不足払い制度の歴史的経緯、50年の間、何度も大きな問題が発生してきたことを検証しなければならない。
過去4回の減産型計画生産の犠牲になった生産者に報告書さえ出されていない。
5月19日の規制改革会議の答申では、補填金は継続し、共販制度も維持される。
ただ独占的一元集荷体制に問題がある、と提言している。
今後、農家や農協単位で補填金の直接支払いを受けながら、自由に販売先を選べると言う。
乳業もこれは同じになる。
この事がそれぞれの経営にどう生かせるのか?
じっくりと、かつ多角的に考える必要があると思う。
何がどう変化し、自分の経営には…組合の運営には…消費者やバターのユーザーにはどのような影響があるのか、どうしたらこの変化をプラスに転化し、経営や組織に取り込めるのか?
考える時が来た。
当初盛り込まれた指定団体「廃止」の文言は削除され、答申の「看板」は文言を優しくした。
しかし中身は3月31日の提言とほとんど変わっていない。
やるのだ。
<<緊急説明会(別海会場)での各講演者の要旨>>
別海町の地域社会の疲弊、酪農家の減少を食い止めるため、ちえのわ事業協を設立したと話し、競争のない生乳流通に問題があると指摘。
団体以外に出荷するという選択肢を酪農家に示すとともに、自らの生乳が製品化し「別海のおいしい牛乳」として消費者に届けられる喜びを語った。
飲用向けでの販売を通して、自分たちの生乳の風味の良さに、改めて気付くことができたという。
海外輸出についても、台湾への売り込み等積極的に取り組んでいることを明かし、自主販売だからこそできる事であることを強調した。
自主販売に踏み切った理由として、平成18年生産調整で156t廃棄した事が大きなきっかけであったとし、指定団体の需給調整機能に疑問を投げかけた。
平成19年3月には再度生産枠を理由に廃棄を迫られ、これらの生産調整に関し、生産者に対するきちんとした説明をホクレンに求めた。
島崎氏と同様、「十勝牛乳」として製品化できたことは生産者の励みになるとした上で、
六次化等で酪農家が小売りまで手掛けることのリスクを指摘、乳業との分業をしっかりすることが重要であると話した。
指定団体の飲用乳の配乳は中小乳業に回ってこない、と過去の生乳販と自主流通の比較グラフをもとに説明された。
過去15年もの間、生乳販からの入荷は伸びず、MMJからの配乳だけが着実に増えている。
その間、工場の生産はMMJの増加分がそのまま反映され、3倍になっている。
昨年、名古屋地区の2番手、3番手の乳業が廃業したが、その際も大手乳業に全て配乳枠を持って行かれた。
東海生乳販はまったく中小乳業の意見や要望を聞く姿勢がないと批判。
乳価についても、東海生乳販からは一枚の文章で「大手乳業と交渉の結果下記のように決まりました」と一方的な通知文が毎年来るだけだ。
と、まるで大手乳業と一体化したかのような生乳販の姿勢に「現行の制度に問題がある」と疑問視する。
量的な面、価格的な面から努力した者に配乳は拡大されるべきで、既存の大手乳業だけが価格、配乳の両方を独占している現行体制は良くない、と批判された。
5月19日答申の表題は柔らかくなっているが、内容は3月31日の提言とほとんど変わっていないと解釈。
EU諸国の生乳共販制度を例にとり、共販率の高い国ほど生乳の農家仕切り価格は安定的に高いが、高くなりすぎると他国から製品が入ってくるのでそのバランスは難しい。
共販率(日本のような一つだけの共販ではなく多数多様な共販の合計)は60%以上で効果は現れ、共販率が高い国ほど自由販売の農家は共販農家よりも高い乳価を獲得している、と説明。
→(清水池先生講演資料)
岩手県岩手町で大型酪農を経営、今期からMMJ取引先の富士乳業に社長として就任。
岩手県生乳販、東北生乳販、全体を仕切るJAを内部から改革しようと試みた経緯を話された。
閉鎖的すぎる組織は内からの改革は無理だと判断。
農家のため、地域社会に貢献できるような、酪農と乳業を育てたいと抱負を語った。
規制改革会議の答申を受け、組合や酪農家には指定団体制度について話し合う機会を持ってほしい。
過去の生産調整について、平成5年には生産枠の売買があり、補助金の交付も行われたが、平成18年は全て生産者個人の負担となった。
数千万の負債を個人に押し付け、農協、団体は検証も説明もしていない。
バター、脱脂粉乳の加工コストは国内23円に対し、アメリカ、カリフォルニア州では6.5円である。→(加工コスト資料)
光熱費等、要因はあるがもう一度加工コストを見直すべきではないか。
MMJでは北海道に加工工場を建設する構想があるが、厳密にコスト計算した上で採算は合うと判断した。
→(茂木講演資料)
【質問】
MMJとして別海に乳業工場を建設する計画は本当にあるのか。(別海町酪農家)
【回答】
茂木:昨年から計画している。
ちえのわ、乳業とMMJの3社での共同計画。
品目はバター、脱脂粉乳で日量20t程度処理を予定している。
島崎:ユーザーからは高品質の乳製品を求められている。
「別海のおいしい牛乳」を販売して、成分等の数値はもとより生乳の“味”の重要性がわかった。
我々のおいしい生乳を生かした乳製品を作り、それを求める所へ届けたいと思っている。
【質問】
なぜあえて加工工場建設なのか。
加工向けが発生するとMMJの農家の手取りは下がってしまうのではないか。(別海町酪農家)
【回答】
茂木:MMJの取扱量増加に伴い、年末年始には大量の余乳が発生する。
今はそれを価格を下げることでさばいており、昨年の余乳対策費は4700万にのぼった。
今後取扱量に比例してさらにこの金額が増えることを考えると、その費用を加工に向ける方が牛乳の価値向上の為にも良いと判断した。
加工工場は余乳の受け皿として必要なだけでなく、付加価値の高い乳製品を作ればプラスアルファがある。
最初から乳価は飲用向けで試算しており、余乳対策費を含め、年間通して採算はとれる見込み。
【質問】
中小メーカーは団体に対し、大手よりいくらか高く買うことで量を確保するような交渉はできないのか。(別海町酪農家)
【回答】
井尾:団体は年間計画以外でのイレギュラーな対応はしてくれない。
そのような交渉にも応じないだろう。
MMJからの購入価格は平均すると団体と同じ。スーパーへの営業の際はまず物量の確保が第一で、価格交渉はその後となる。
茂木:計画経済では、配乳はすべて実績で決まる。
当然大手に有利となる。
いくら出そうが新規参入はできず、価格によって配乳が変わることはない。
富士乳業はMMJと取引する前、東北生乳販から拡売対策控除(キックバック)を月間約600万受け取っており、その事実は農家には伏せられていた。→(富士乳業資料)
これは酪農家の望む委託販売なのだろうか。
悪しき計画経済の一例ととらえている。農家の皆さんにはこの機会に良く考えてほしい。
【質問】
MMJ(全国生乳自主販売協議会)は今回の規制改革会議の提言を受けた陳情書を提出したとの事だが、どこに提出したのか。(別海町酪農家)→(陳情書資料)
【回答】
井上:各国会議員の他、農水省牛乳乳製品課に提出をした。
【質問】
多くの問題があるにもかかわらず、指定団体制度改革がなかなか進まないのはなぜか。(別海町酪農家)
【回答】
田口:平成18年の生産調整に関する説明を求めるため酪農法人会の有志数名でホクレンを訪れたことがあるが、板東常務からは所属農協組合長を通せと言われ取り合ってもらえなかった。
酪農法人会の活動ではホクレンに直接出向いたり、乳業メーカーに行ったりしているが、それらの活動についても常に監視や、発言の抑制をされていると感じる。
酪農家の声を届け、改革を進めるために組織強化していく必要がある。
島崎:全道の酪農家同士の横のつながりを作り、情報共有していく酪農研究会を発足する。
地域農協をまたぐ全道の組織は今まで無かった。政策提言なども積極的に行っていく。
【質問】
MMJの乳価について、すべて飲用向けで売れればよいが、チーズやバター向けになった分の乳価はどうなるのか。(別海町役場畜産課職員)
【回答】
茂木:バター、脱脂粉乳の加工費23円と言われるが、これは単にコストの積み上げによるものだ。
コストを引いた残りが乳価で、競争が無いからコストは下がらず、30年前の設備で工場の稼働率が低くても工場は倒産していない。
アメリカは競争があるから6.5円でできている。
MMJがすべての原乳を取り扱うということはあり得ない。
共販であることは団体と同じだが、委託販売でなく買取である点が違う。
農家は、様々な共販組織の中から、価格を含め検討し自らの経営に合うものを選択すればよい、というのがこの改革案の内容だ。
島崎:私は、全部がMMJやちえのわに出荷するようになれば良いとか、思っているわけではない。
現行のホクレンや、大手乳業の工場も大事で、がんばってほしい。
ただ今の流れを変えたい、基幹産業としての酪農を取り戻すことが活動の目的だ。
【質問】
改革により補給金がMMJ等にも支給されることになると、その支給業務を行うための団体が新たに必要になるのではないか。(別海町酪農家)
【回答】
清水池:支給業務については国の範疇だが、もし補給金を加工向けが発生した個々の生産者だけに直接支給するということになると、共販ではなくなる。
共販下ではプール乳価となるはずだからだ。
従って、生産者団体を作りそこへ支給するという形にならざるを得ないのではないか。
【質問】
規制改革で共販率が下がることにより、EUのように価格交渉力が落ち乳価が低下するのではないか。(別海町酪農家)
【回答】
清水池:個人的見解として、今回の改革がなされても、MMJがすべての生乳を買えるわけではなく、また、現行の指定団体制度には一定の経済的合理性があるので、
需要との関係で共販率は大きく低下することはないと考えている。
しかし農協の単位でのホクレン離脱があると、大きな問題になると思う。
茂木:改革がなされるとMMJの他にも新たな共販組織が現れるかもしれない。
その中で価格交渉力のあるところが酪農家に選ばれ、残っていくのだと思う。
集送乳合理化等コスト削減努力、販売力が問われる。
清水池先生の指摘のように農協単位での独立もあるかもしれない。
現在は酪農家は地域農協への所属に縛られているが、自由に移籍できるような新しい農協の形態が重要になるだろう。
清水池教授の話は中立的な目線で指定団体と自主流通の比較、また、共販制度の有無とそのバランス、市場への功罪などEU諸国の例をとっての説明は解りやすかった。
解説の中で共販率が高くなるとその中の自主販売農家の乳価は比較優位が生まれると言われたが、日本の場合どうであろうか?
MMJも共販の一つであるから指定団体や他の共販団体を除いた単独の自主販売農家の乳価は高いか?というと、そうでもない。
共販率は97%以上になるが残り1%から2%の自立した農家の立ち位置が弱い。原因がどこかにある。
共販率がここまで進むと業界としての活性を失うのかも知れない。
今後、加工乳補填金の直接支払いが行われた場合、既存の団体やMMJを含む多くの共販団体が生まれ、農家と乳業をつなぐ世界になると思う。
その時、共販率はどの程度が適正なのか、見極められる。
生乳流通新時代が始まる。
的確に情報を集め、自己の経営を適用させたものが残る時代が来る。
札幌の説明会にホクレン代表が来なかった。
関係者さえ来なかった。
当初、札幌会場はホクレンビルの会議室を借りようとして申し込んだが断られた。
しかたなくホテルの会議室になった。
ホクレンビルと言う「本丸」に出向いて今回の制度改定についての議論しようとしたが断られた。
この加工乳指定団体制度は酪農業界のために必要なのだ、として、ホクレンは補填金の運営を農家のために施行している、という大義があれば、
会場へ出向くホクレン職員、役員、または代表理事がいるはずである。
ところが、まるで殻にこもった様に表に出て来ない。
全く無反応であった。
農家の前で制度について説明する事もなければ、その必要性を訴えるでもない。
決定は国会だからと、議員先生に頼むだけであった。初めから農家は無視されている。
自分たちのホクレンには必要な制度だからそのままにしてくれと言わんばかりだ。
「農家のために」という大義を無くし、守るだけになってしまった巨大組織。
今回の説明会で感じたのはホクレンの終わりの始まりである。
平成28年6月4日 凱MJ代表取締役 茂木修一
生乳指定団体廃止の提言が内閣府規制改革会議WT(ワーキングチーム)から政府内に出されたことで団体は大変な騒動となっている。
北海道の組合長レベルの会議ではこぞって「なかった事にして欲しい」と悲痛な命乞いのようにさえ感じられる声明を発している。
ところが、北海道はもとより、内地の酪農家の中では今回の提言について肯定する意見が多く
「米は直接支払いで自由化している、電力も自由化された。酪農だって当たり前のことだ、これからは売り方を選べるようになる」と喜びの声を聞いている。
○○会議で決議された。○○大臣に陳情書を届けた。と団体役員は盛んに政治に訴えているが、「なかった事にして欲しい」は本当に農家の声を代表した訴えだろうか?と疑ってしまう。
今回の指定団体廃止(加工原料乳補給金制度の独占的指定を外す)提言に反対の意見書を各団体が即座に提出し新聞紙上を賑わせている。
提言が発表されたのは3月31日だからまだひと月も経っていない。
その意見書は酪農家の意見が反映されているようには到底思えない「速さ」であり、「内容」だ。
弊社、MMJのような自主販売(アウトサイダー)の組織にとっていい事なのか、あまり良くない事なのか?は意見が分かれるが、
指定生産者団体の加入している酪農家とMMJのような自主販売に加入している酪農家の隔たりが解消される方向になることはよいことだ。
北海道も、内地の農家も出荷先を選べるようになり、それが出荷組合であったり、MMJであったり、または今までの団体であったりするわけで、中には直接乳業と契約する勇気ある農家も現れると思う。
こうした自由な選択の中で、価格や安定性、乳質、牛の種類、地理的条件などで新たな流通ネットワークが構築されていく事になるだろう。
連日盛んに報道される震災報道は痛ましい。
しかし、業界紙や新聞紙上で震災にも指定団体があるから対応できた、生乳の廃棄を最小限にできたように報じているが、指定団体の是非と災害を結びつけるのはおかしい。
5年前の東日本大震災で、東北の指定団体、岩手県酪は3月11日の震災時、3月末まで集乳と授精はできないと農家に宣言した。
大手2乳業の工場が止まったことと、電気、燃料の確保ができないという理由だった。
インフラでは同じ条件だが、岩手県の岩泉にあるMMJに生乳を出荷する契約農家では半日遅れの集乳で、ほとんど生乳を無駄にすることなく集乳できている。
集乳を依頼している運送会社の機転と勇気でローリーをまわし続けることができた。
団体であっても、個別の単協で努力すれば約20日もの間、生乳を捨てることにはならなかったはずである
(下記資料は、震災時組合から出されたFAXである。廃棄乳は全体で按分し農家負担となった。JA手数料はしっかり取っている)。
有事の際に指定団体という巨大組織よりも個別の努力が機能した例だ。
勿論、全体で成すべきことはある。広域消防や広域救助体制がそれで、全体の協力体制は災害が大きい場合には必要だ。
これは生乳指定団体制度というものがなくなった後でも、災害時の協力ネットワークは構築する必要がある。
遠隔離島や北海道の道北を例に「誰が集乳するか」と、まるで郵政民営化の時のような論戦を載せるが、前述の岩泉の酪農グループは盛岡から山道を2時間かけてやっと到着する山間地で酪農を営んでいる。
MMJ創業2年目(2003年)よりお付き合いいただき、当初4軒だった農家は今、10軒になった。
一方、指定団体の農家は当時90軒あったが33軒になってしまった。→岩泉町酪農統計
こうした産地こそ、団体の合乳ではなく安定した品質と「小ロットのブランド化」がしやすい環境がある。
指定団体の指定の廃止と遠隔離島や山間僻地の荒廃をイコールで結ぶのは現実を見ていない、当事者と議論を尽くしてもいない、と思える。まことに失礼な話だ。
酪農改革はこれで終わりではない。
5年後TPPを前にして改革するべきことはたくさんある。
目線は輸出体制をどう作るかであろう。
日本の農畜産物輸出量は先進国のどの国よりも低い。ほとんど無い、と言っても過言ではない。
輸入に見合った輸出体制を構築しなければ本当の危機が来る。
平成28年4月29日 凱MJ代表取締役 茂木修一
半世紀にわたり酪農と乳業を支配してきた加工原料乳補給金制度が、根底から変えられる。
内閣府の規制改革会議が加工乳補填金の農家への直接支払いを提言したことで、全国の経済新聞や業界紙を賑わしている(2016年3月31日日本経済新聞朝刊
「生乳の流通 自由化検討」)。
JAをはじめとする酪農指定団体が組織として「需給調整能力、価格交渉能力が機能していない」とされ、指定団体の「指定」の文言が無くなる事を意味する。
これは同時に一元集荷が無くなる事であり、自由に誰でも生乳の販売先を選定できる事になる。
生乳販売にかかる手数料や加工比率、販売先に至るまで農家に選択権はなかった。
農家は減産型生産調整になれば一方的に数量を決められ、全く補償のないまま生産実績枠外の生乳は廃棄を迫られた。
これからはこうした事が一切無くなる。
指定団体の顔色を伺う事なく産地指定や農家指定の「生産者の牛乳」を売り出す事ができる。
農家は複数の乳業や問屋に出荷する事が可能になり、価格交渉を独自に行えるようになる。
大きく飛躍するチャンスが酪農に訪れた。
TPPを控えた今、農家に大きな選択肢が生まれたのである。
補給金制度を利用して巨大化した酪農補助金組織は解体され直接支払いになる。
長年酪農世界に差別的用語としてあったインサイダーとアウトサイダーという言葉が無くなる。
今年は日本の酪農業界にとって歴史的変革の年である。
MMJの創設は2002年で、14年目になる。
創業より一貫して生乳の自主販売(アウトサイダー)を支援してきたが、ようやく業界の大きな変革期を迎える事ができた。
契約農家は北海道から四国まで広域に散在し、生産量は年間7万トンを超え、全国の生産量の1%、飲用だけをとらえると3%になる。
今回、すべての酪農団体、個別経営体に加工乳補填金が支給されると自主販売の酪農団体も対象になる。
MMJではすでにバターやクリームのオファーがあり、具体的に生産体制を構築していく予定だ。
TPPまでの5年間で日本の酪農は生まれ変わる。
生まれ変れなければ日本の酪農に未来はない。
国内自給率だけを旗印に計画生産に邁進してきた酪農の時代は終わろうとしている。
平成28年4月11日 凱MJ代表取締役 茂木修一